樹木の概要
イチイガシ
- 樹種(じゅしゅ):イチイガシ
- 学名(がくめい):Quercus gilva
- 漢字(かんじ):一位樫
- 分類(ぶんるい):ブナ科コナラ属
- 別名(べつめい):ロガシ
- 分布(ぶんぷ):関東以西の本州の太平洋側、四国、九州、台湾、済州島、中国
- 形態(けいたい):常緑広葉高木
- 樹形(じゅけい):卵形
- 樹高(じゅこう):15~30m
- 雌雄(しゆう):雌雄同株・雌雄同花
- 花(はな):4~5月/雄花 3mm(直径)/雄花の集まり(花序)5~15cm/雌花 2.5mm(直径)
- 実(み):10月/2~2.5cm(長さ)
- 特徴(とくちょう):照葉樹林の王様的存在。成長は遅く、寿命は長く、大木になる
イチイガシの話
イチイガシは、ブナ科の常緑の広葉樹で、クリ、コナラなども同じブナ科の仲間です。
本州の関東地方南部以西の主に太平洋側、四国や九州に分布します。谷沿いなど湿潤で肥沃なところで、大木のイチイガシに出会うことがあります。幹は直立し、枝を周囲に広げた堂々とした姿は、神々しく、圧倒されます。
全国の大きな神社、伊勢神宮、厳島神社や大分の宇佐神宮などには必ずといっていいほどイチイガシの巨木があります。宮崎県であれば、行縢神社や十根川神社、霧島岑神社などにあり、ご神木の一つとなっています。巨木になるということは、その土地の環境が良いということで、日本の農耕文化と結びつきのある木となっています。
日本に農耕文化が入ってきた当初は、「焼き畑」が中心でした。奈良時代になり、朝廷の力も強くなり、律令制度が確立し、国が耕地を分配する「班田」と税制度「租庸調」の仕組みが全国に広がり、畑地が焼き畑から「常畑」になっていきました。そのとき、土壌の良いところを見極める一つの目印になったのが、西日本ではイチイガシの巨木の森でした。
イチイガシの森は非常に肥沃な土地となっていて、そこを耕して畑を作れば作物がよくできたことから、いわゆる豊穣のシンボルがイチイガシとなっていることが多いようです。
宮崎県内では、木城町が「カシ」をシンボルツリーに指定しています。
材は堅くて木目が美しく、昔から船の櫓に使われてきたほか、家具材、農具などの器具材、建築材などに重宝されてきました。
堅い果実(堅果)は、ドングリの中でカシ類のドングリでイチイガシだけが生で食べられることから、古代より食されてきました。
イチイガシを観察しよう!
イチイガシの名前の由来
イチイガシは、材が非常に堅く、昔の木造船の時代には舟をこぐ艪や舵、船の骨格部分などに使用され、古代より非常に重要視されていた木でした。
また、樹高も高く、大きな木になることから、「一番のカシ(一位樫)」といわれ「イチイガシ」となったという説があります。
ほかにも「神聖な木」という意味の「齋樫」、あるいは「よく燃える」という意味で「最火」や、カシ類でいちばんよく燃えることから「一火樫」などが訛ったものという説など、諸説あります。
イチイガシの幹と樹皮
樹皮は、黒褐色から灰褐色です。
老木になると、うろこ状に不規則にポロポロと剥がれ落ちます。
剥がれ落ちたあと、波状の模様が現れるので、ほかの種と区別しやすくなります。
イチイガシの葉を観察してみましょう
葉は単葉で互生し、長さ6cm〜14cmの葉は、硬く、陽光を反射して、よく光ります。
先端は、鋭く尖っており、鋭いギザギザ(鋸歯)が葉の半ばから先の方にだけあります。
古い葉の葉身は革質で、濃い緑色で光沢があります。
イチイガシの若葉
若葉は枝先にまとまって付きます。
若い枝や若葉には、淡い灰褐色の毛でおおわれます。
葉は、初めはやわらかく、まったく艶がありません。遠くから見ると、くすんだ灰褐色の粉をふいたような様子です。
成長するにつれ、葉の表にあった、たくさんの毛がとれ、点状に少し残るだけになり、光沢が増してきます。
イチイガシの葉の裏
葉の裏には、淡褐色の毛が密生しており、樹木全体が茶色っぽく見えます。
また、葉の裏側の葉脈は、突出しており、表よりは色は、やや白っぽく見えます。
イチイガシの花を観察しよう!
雌雄同株で、4~5月頃、長さ5~16cmの細長い穂になって咲いた雄花(花序)が新しい枝の下部から垂れ下がります。
灰緑色の若葉と濃い緑色の成葉の中ではあまり目立ちません。そのようなときは、足元を見ると、雄花の花序が落ちている場合もあるので、よく観察してみましょう。
雌花も数個、穂になって咲きますが、あまり目立ちません。
イチイガシのドングリ
花が咲いた年の秋に楕円形の果実(堅果)が熟します(一年成り)。
ドングリは樽型で、実の上部には、淡褐色の毛が多く密生し、表面には、はっきりとした縦筋の模様が入っています。
殻斗は深い杯形です。
鱗片でできた環を同心円状に積み重ねた形になっており、環の段数は6段か7段です。黄褐色の短い星状毛が密生しています。
縦筋の模様が入っているドングリ
イチイガシと人とのかかわり
ドングリを食べる
イチイガシのドングリは、ブナ科の中では、アクやタンニンが非常に少なく、ほかのドングリが、しっかりアク抜きしないと食べにくいのに対し、生で食べることができるほど、アクが少なく、食べやすいものとなっています。
このため、南九州の縄文遺跡の食料の貯蔵庫跡から出てくる炭化したドングリは、ほとんどがイチイガシのドングリといわれ、縄文時代から大切な食料であったことが分かっています。
米づくりのための農具の材として
農業が本格的に始まった弥生時代、日本人は田で稲を育て、その実である「米」は貴重な食物でした。当時は、鋤や鍬といった農具のほとんどが堅い木で作られてきました。そのときに九州で利用されたのが、イチイガシ、アラカシ、アカガシ、マテバシイなどの堅い木です。また、スギなど、田の周辺で手に入れやすい材もたくさん使われました。このように木は、米づくりの歩みと深いかかわりがあります。
稲の原産地はアジアで、日本では3000年くらい前から水田栽培が始まったといわれています。田植えや稲刈りなどを効率よくするため、米づくりに使われる道具もさまざま考案され、工夫されていきました。たとえば地面を掘り起こすときに使う鍬は、平たい板を長い柄の先に角度をつけて取り付けたものですが、イチイガシや付近に生えていた丈夫な木でできていました。鉄が普及するようになると、刃の先だけを鉄に変えました。地域によっては昭和の半ばまで使われてきました。
とくに大正時代、動力機械が普及していない時代には、牛や馬が貴重な米づくりの担い手でした。牛馬に取り付け引かせる、田起こし作業のための「鋤」や代掻き作業用の「馬鍬」などの農具は、イチイガシなどの堅くてしなやかな木を利用していました。
お米を食べるための道具も木でした。収穫した稲から実(モミ)を落とす脱穀作業の後に、モミからモミ殻を取りのぞく「モミすり」をして玄米ができます。稲作が機械化されるようになるまで、稲刈りでは、「鎌」、脱穀のための「千歯こき」が使われました。また、マツやクリなどは、「モミすり用の木摺り臼」、ケヤキやマツ、カシ類は、玄米を精米するための「臼」と「杵」などに利用しました。
イチイガシクイズ
正解!
正解の葉はタブノキの葉です。タブノキの葉は鋭いギザギザ(鋸歯)がなく、葉の先端がイチイガシほど尖っていません。
イチイガシの葉の先端は、鋭く尖っており、鋭いギザギザ(鋸歯)が葉の半ばから先の方にだけあります。
古い葉の葉身は革質で、濃緑色で光沢があります。
また、葉の裏側の葉脈は、突出しており、表よりは色は、やや白っぽく見えます。
他の植物との違いもぜひ見つけてみてください!
残念!
正解の葉はタブノキの葉です。タブノキの葉は鋭いギザギザ(鋸歯)がなく、葉の先端がイチイガシほど尖っていません。
イチイガシの葉の先端は、鋭く尖っており、鋭いギザギザ(鋸歯)が葉の半ばから先の方にだけあります。
古い葉の葉身は革質で、濃緑色で光沢があります。
また、葉の裏側の葉脈は、突出しており、表よりは色は、やや白っぽく見えます。
他の植物との違いもぜひ見つけてみてください!